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月刊スポーツメディスン最新刊紹介
月刊スポーツメディスンNo.210(2019年5・6月合併号)←詳細&購入はここ!
210表紙
『特集 セラピストの手の使い方」
── 治療技術の向上のために
 
1.「肩関節疾患を診るうえでのセラピストの手の使い方」
勝木秀治・関東労災病院 中央リハビリテーション部理学療法士、専門理学療法士(運動器)東海大学医学部 基礎医学系生体構造機能学領域
 
2.「体幹、下肢のスポーツ障害への運動療法で大事なセラピストの手の使い方」
園部俊晴・コンディショニング・ラボ(インソールとからだコンディショニング専門院)
理学療法士、運動と医学の出版社代表取締役社長

3.「臨床動作促通法の紹介」──正しい動作に誘導するために
鈴木俊明・関西医療大学大学院 保健医療学研究科
 

スポーツで勝つ

久米先生顔イラスト ブログ
 今月10日付けの読売新聞に「スポーツの国家戦略―基本法骨子案―競技力向上を重視」という記事が出ておりました。これによると、超党派の議員連盟(会長・麻生首相)が中心になって提案している「スポーツ基本法(仮称)」の骨子案が明らかになったということです。しかし、なぜ今スポーツを国家戦略に、なんですかね。
 もともと“スポーツ”はラテン語の“deportareデポルターレ”と呼ばれていたというのは有名なお話です。この言葉のdeは英語のawayを、portareはcarryを表わすようで、ここから“気晴らし”と同意語に使われていたといわれています。

 だいたい、人間が単なる気晴らしをするときは、あんまりルールとか他人の迷惑とか考えないと思うんですけで、これって僕だけですかね。もちろんやけ酒のんで公園に裸になったら犯罪ですけど。

「ボクシングはなぜ合法化されたのか」(平凡社 2007)を書いた松井良明氏によれば、スポーツの歴史は、その時代の「為政者たちによる禁止と抑圧と常に隣り合わせであった」そうですよ。サッカーは、原型はストリート・フットボールとかモブ(集団の意)フットボールとか言われていて、大勢の男衆がたった一つのボールを蹴り合う行為に夢中になったといいますから、中にはゲームそっちのけで相手を殴ったり、ゲームに参加しているような顔して途中で他人の家に盗みに入ったりした者もいたんじゃないでしょうか。この本のタイトル「…なぜ合法化されたのか」には、当時決してすべての民衆から支持されていたとは思えないサッカーやベアナックル(素手)方式の極めて危険な方式で行われ、なおかつ賭博の対象にさえなっていたボクシングが、なぜ政府のお墨付きまでもらえるような合法化を果たせたのかを解き明かすことで、近代スポーツの成立過程を明らかにしようとする意図が隠されているのです。

 いつからスポーツが市民の味方になったかは私の勉強不足でよくわかりませんが、国家間の政争の具になったことは過去の歴史で何回かあったことは皆さんの記憶にもあるでしょう。いつの時代もそうですが、こういった問題が生じるときというのは、だいたいスポーツを利用しようとする人々が存在するということです。

 今回の読売新聞の記事を読むと、このスポーツ基本法の骨子案では「スポーツ政策を国家戦略として位置づけ(中略)国際社会での日本の存在感を高める方策として競技力を重視し」とあるんですが、僕のように自分に都合の良いところだけ読まれないような法律にしてほしいですね。

コラム6 写真 ひとつ提案です。本当にスポーツ政策を国家戦略と考えているならば、上ばかり見ていないで次世代を担う子どもたちを育てる法律にしてほしいと思います。

 たとえば、全国の小・中学校の体育館とグラウンドに観客席を設けてください。
 
 これで、児童・生徒はスポーツを見る喜びを養い、将来観客となってプロの試合会場へ足を運ぶようになります。また、親が見学できるスペースができたことで、部活動がオープンになり、スポーツの指導法に劇的な変化が現れます。最後に、親以外の地域住民が子供たちをスポーツ通して応援することで地域のコミュニティが活性化され、地域で子供を育てる価値ややりがいを実感させ、子供たちにも生涯にわったてスポーツに携わる気持ちを育むはずです。

 こういうことならば、僕は「スポーツ基本法」応援します。

久米秀作・帝京平成大学
 (日本体育協会公認アスレティックトレーナー)
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