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         スポーツ医学とスポーツ現場をつなぐコミュニケーションブログ
 
月刊スポーツメディスン最新刊紹介
月刊スポーツメディスンNo.210(2019年5・6月合併号)←詳細&購入はここ!
210表紙
『特集 セラピストの手の使い方」
── 治療技術の向上のために
 
1.「肩関節疾患を診るうえでのセラピストの手の使い方」
勝木秀治・関東労災病院 中央リハビリテーション部理学療法士、専門理学療法士(運動器)東海大学医学部 基礎医学系生体構造機能学領域
 
2.「体幹、下肢のスポーツ障害への運動療法で大事なセラピストの手の使い方」
園部俊晴・コンディショニング・ラボ(インソールとからだコンディショニング専門院)
理学療法士、運動と医学の出版社代表取締役社長

3.「臨床動作促通法の紹介」──正しい動作に誘導するために
鈴木俊明・関西医療大学大学院 保健医療学研究科
 

読者の方から誤植(編集部の校正ミス)のご指摘を頂きましたので、訂正し、お詫びします。(清家輝文)

116号特集2 玉置龍也先生のインタビューのページ、P.16中段下から2行目

×物理療法が必要だというような判断します。
        ↓
○物理療法が必要だというような判断をします。
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復カツ折衝一考

久米先生顔イラスト ブログ ここのところ連日、新聞紙上で、今話題の政府事業仕分けチームによる「民間スポーツ振興費補助金32億円」が縮減される方向で調整に入ったと報じています。これを受けて、日本オリンピック委員会(JOC)は、オリンピック代表選手を同席させて、都内でこの決定に反対する共同記者会見を開きました。出席者には、フェンシングの太田選手やアーチェリーの山本選手といった、茶の間によく馴染んだ顔が並んでいましたね。

 そもそも、スポーツは気晴らしの手段として、人々の暮らしの中に溶け込んでいったものです。日々の生活の糧を得る合間に楽しみ、次なる労働への意欲をかき立てるのに役に立ったのでしょう。だからこそ、人間の最も深い欲求と結びついて、長きにわたって生活の一部として成立してきたわけです。

 しかし、このスポーツも最初から多くの人々に受け入れられたわけではないようです。“気晴らし”という、極めて個人的な感情を満足させるためだけにスポーツがあった時代には、これに眉をひそめた人々も沢山いたと想像します。

 たとえば、現在のサッカーの前身と言われる“モブ・フットボール”は、文字通り“モブ(集団)”によるボールの蹴り合いでした。町対町の若者によるこのような集団行動は、関心のない人々にはきっと暴動のように映ったでしょう。この流れに歯止めをかけたのが、ルールの制定です。ボールを蹴る場所を確定したのです。現在サッカー場のことを“ピッチ”と呼びますが、これには「いつも店を出す場所、きまった場所」という意味が含まれています。さらに注目すべきは、このピッチによって、周りに“観客”という新しいスポーツの楽しみ方をする集団が形成されるようになりました。

 翻って、我が国のスポーツはどうでしょうか。周知のように、我が国のスポーツの発展は、学校体育とともにありました。学校体育の影響は、量り知れません。日本人独特のスポーツ観を養い、近年世界に伍して戦えるまでのスポーツ大国に押し上げたのは、明治以降の学校体育によるところが大きいと思います。しかし、“超大国”になれずに足踏みしているのが、現在の我が国の現状です。今回の政府による予算縮減の動きも、これを裏付ける証拠です。

 では、どうするか。今度の事業仕分けも決定ではないと聞きます。復活折衝の機会があるはずです。そこで、折衝のやり方を、現在の予算復活といった直線的なものでなく、見方を変えた折衝にしたらどうでしょうか。

 以前、私はこのコラムにも書いたのですが、近代スポーツの大切な要素として“観客”は忘れてはなりません。ましてこの観客は、すぐにヘビーユーザーとなるわけではないのです。じっくりとスポーツの楽しみを学習する機会を与えなければ、真の観客にはならないのです。

ウエスト三鷹 018 そこで、予算を全国の小中学校のグラウンドや体育館に観客席を設けるため、と言い換えてはどうですか。また、同じく小中学生を、全日本レベルのあらゆる大会に無料に招待するための予算といったらどうでしょうか。

 観客が選手を育て、選手が観客を育てることは、すでに多くのスポーツで実証済みです。今こそ、“見るスポーツ教育”を育みませんか、と政府を説得してみてはどうでしょうか。

 柔軟な頭脳は、スポーツ選手の専売特許ではありませんか。正面から攻めてダメならば、横から、後ろから。ルールの許す限り考えるのが、戦術というものです。御一考を。


久米秀作・帝京平成大学 (日本体育協会公認アスレティックトレーナー)