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月刊スポーツメディスン最新刊紹介
月刊スポーツメディスンNo.215(2019年11月号)←詳細&購入はここ!
SQ215表紙
『特集 足関節捻挫後遺症の課題を整理する」
1.「慢性足関節不安定症に対する治療の現状と課題」
小林 匠・北海道千歳リハビリテーション大学 健康科学部
リハビリテーション学科 理学療法士
 
2.「足関節捻挫が関節機能に及ぼす影響と課題」
越野裕太・理学療法士、博士(保健科学)、NTT 東日本札幌病院リハビリテーションセンター

3.「足関節捻挫がスポーツパフォーマンスに及ぼす影響と課題」
峯田晋史郎・大阪体育大学 スポーツ医科学研究室、日本学術振興会 特別研究員PD

4.「足関節捻挫における後遺症が将来的な健康に及ぼす影響と課題」
寺田昌史・立命館大学スポーツ健康科学部 講師

カツ達な女性(ひと)

久米先生顔イラスト ブログ 先週、ひとりの女性が亡くなりました。享年100歳でした。

 その女性は、私の大学の先輩です。とはいえ、もちろん彼女とは卒業後の同窓会を通して知り合いとなりました。幾度となくお会いする機会を得て、いつしか彼女の明るい笑顔と張りのある声、そしてなによりメリハリの利いた闊達な物言いに、私は一種の安心感を覚えながら、彼女の話を傍らで聞いていた記憶があります。

 彼女は、明治42年6月10日に、香川県高松市で4人姉妹の末っ子として生まれました。ご自身が書いた「渡部瑞枝随筆集」(非売品)によれば、父親は、旧松平藩の槍の指南役の末裔であったそうです。

スポーツのカツ 12.11  母親は大変躾に厳しく、これからの女性は自分のように手に職がないと苦労するので、しっかりと職を持って自立するべきという信念を、強く彼女にも教えたようです。そして、この母親の信念は、先ず上の姉が実行に移しました。姉は香川県の小豆島で教員生活を始めたのです。ところが、この姉の赴任先に彼女もついて行くように母親は求めたのです。唯の旅行ではありません。姉のお目付け役として、彼女も小豆島の学校に転校することになりました。

 ここから、姉と二人三脚の生活が始まります。この時の話は彼女から直接聞いたことがあります。彼女は、困り顔を作りながら、「どうも、母親は私より姉の方が心配で仕方がなかったようなのよ」と半分笑っておられました。2年後、姉が教員義務年限を終わると、再び二人して高松市に舞い戻ります。ここで、小学校の教師の職を得た姉は、当時国内で盛んに行われるようになってきた体育活動に、次第にのめり込んでいくのです。

 当然、“付き添う役”の彼女も同行することになりました。当時はスウェーデン体操や、ドイツの器械体操、そして、デンマーク体操が最新の流行としてもやされていたようで、教師をしていた姉とともに、夏休み返上でこれらの講習会に参加していたようです。

 その時の様子を「(中略)会場に近い時は二人分のお弁当を作って貰って女学生の私は邪魔にならないところで見ていた」と書いています。女学生が講習を受けにくること自体が、珍しいことだったのでしょう。しかし、「これでやがて私も女学校の体育教師になりたいという希望が固まったようである」と書いています。彼女の心に、今後一生涯燃え続けることになる小さな炎が灯された瞬間でした。

 この炎は、昭和2年に日本体育会体操学校(現日本体育大学)女子部入学で、一段とその輝きを増します。新校舎への移転と重なったこの時期は、彼女にとっても艱難辛苦の連続であったようですが、そこは持ち前の気丈夫で乗り切り、卒業後は半生世紀以上に渡り、新しい女子体育の道筋を先導していったのです。

「60,70鼻垂れ小僧、80,90でお迎え来たら、10年早いと追い返せ、って言うのよ」と、よく彼女が口癖にしていたことを思い出します。その他にも、「腹八分、くよくよするな、無理するな、お洒落忘れず毎日歩け」や「(周りがそうだからと言いて)義理で年取るな」、「ため息は命を削るカンナかな」等、彼女が自らの座右の銘とした言葉は数多く残されています。どの言葉を取っても、彼女の生き様と重なって、煌々と輝いて見えます。

 先生、本当に長い道のり、お疲れ様でした。本当にご苦労さまでした。そして、最後に、僭越ですが先生、天寿全うされたこと、心より祝福申し上げたと思います。おめでとうございます。合掌。


久米秀作・帝京平成大学 (日本体育協会公認アスレティックトレーナー)

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