FC2ブログ
 
         スポーツ医学とスポーツ現場をつなぐコミュニケーションブログ
 
本誌の創刊は、1989年。月刊トレーニング・ジャーナルが79年なので、ちょうどその10年後になる。「スポーツ医学だけで1冊の雑誌を」と考え、当初は季刊でB5判132ページだった。

この雑誌を創刊するに際して、多くのドクターやPT、トレーナーなどといった人に会い、相談した。「トレーニング・ジャーナルがあるのだから、何もまた別につくることはない」という人もいたし、「とても面白いからやってみれば」と言ってくれる人もいた。

トレーニング・ジャーナルのときと違うのは、ひとりで創刊準備をすすめたということである。編集顧問には、黒田善雄先生、高澤晴夫先生(故人)、中嶋寛之先生、村山正博先生、八百板沙先生の5先生になっていただき、27人のスポーツドクターに編集委員をお願いした。また全国38のスポーツ医学研究会には協力団体になっていただいた。

当初は、特集を設けず、インタビュー、取材もののほか、書いていただいた原稿で構成した。対談コーナーを設け、渡会公治先生が「この先生とじっくりお話ししたい」という先生に会いに行った。最初は、札幌の腰の権威、中野昇先生。この対談で初めてお会いしたのが、信原克哉先生である。この対談はみな印象深く、こういう立派な先生がいらっしゃるのかと何度も思った。ちなみに養老孟司先生がまだ東大の解剖学の教授のとき、この対談を受けていただいた。ヴェサリウスの解剖図をもらいにいったとき、相手をしていただいたのが確か布施先生だった。

「季刊」だから、年に4回の発行ということになる。すべての取材や交渉、編集をひとりでしなければならなかった。132ページをひとりで取材・編集するのはたいへんな作業で、年に4回出ないことのほうが多かった。その後14号から特集を設けることになるが、例えば23号の「トレーナー」の特集では、30人以上もの人に取材し、それに加えてインタビューやニュース記事も掲載した。取材だけで相当な日数がかかっていた。

しかし、ひとりで取材し、編集していく作業はたいへんなもののやり終わったあとの充実感はまたひとしおだった。もちろん、ひとりといっても、テープ起こしなど、手伝ってもらう人はいたが、全ページひとりで編集するという点では変わらない。

このときに出した特集号は今でも手元に置いて読んでいただいていることが多い。いろいろな取材先で、このときの特集号がきちんと並べられているのを見ると、撫でてみたいほど愛着があり、嬉しいものだ。(清家輝文)

スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://msm08.blog96.fc2.com/tb.php/113-dcce3cc0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック