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久米先生顔イラスト ブログ 最近、芸能界の薬物汚染の事件が注目されていますね。こういう事件には、必ず後で共犯者が芋づる式に出てきます。汚染といわれる由縁です。

 しかし、「薬物による汚染」というと薬物が勝手に人々を汚染していくように聞こえますが、一部の例外を除いて、手を出す決心はほとんどの場合本人がしている訳ですから、ここらの責任はちゃんと本人に問うべきではないでしょうか。

 つまり、「やるとやらない、とは大違い」であることを、裁判でしっかり裁いてほしいものです。たとえ罪を犯しても、初犯だとか持っていた量が少ないといった理由で執行猶予がついて済んでしまうのでは、これからも軽い気持ちで“汚染”されてしまう人が少なくならないでしょう。

 また、相手が芸能人、有名人だから甘く見るような印象を世間に与えることも避けてもらいたいですね。因みに、身内の話で恐縮ですが、私の父は芸能界で70年近く活動していますが、酔って裸で公園に寝たこともなく、もちろん薬物汚染とも無縁です。あくまでも、これは本人の人間性の問題だと思うのですが、言い過ぎでしょうか。

 スポーツ界にも薬物汚染のニュースはもちろんありますが、こと競技成績に直接関係するドーピング問題については、現在も深刻な状況にあることは皆さんもご存じでしょう。

19スポーツにカツ ドーピングの語源は「ドープ」と呼ばれるお酒にあります。これを飲んで、その昔男達は部族間の戦いの場に勇気を振り絞って出て行ったのでしょう。一種の興奮剤だったわけです。この種の興奮剤がその後、競馬に使われたようで、不正にこれで着順を操作していた訳です。多額の賞金が掛けられていたので、こういう“イカサマ”が横行したのです。

 人間にこういった興奮剤が用いられ、競技成績を不正に操作しようとした歴史もかなり古いようです。最初は自転車競技で用いられたとか、古くは水泳競技にもあったとか言われていますが、先の競馬同様に名誉欲、金銭欲といった人間固有の欲望が動機の源泉にあることは間違いありません。

 スポーツは、もともと「デポルターレ」といわれ、われわれ人間の“気晴らし”の道具でありましたが、この単なる“気晴らし”に一定の制限、つまりルールを決めた時に近代スポーツが始まったのです。もしルールがなければ、その“気晴らし”は単なる快楽と呼ばれる類いのものに成り下がります。その証拠に「快楽に耽る」の“耽る”は“耳”が“沈む”と書きますね。つまり、耳を塞いで外界との接触を全て絶ち、他人のことは全く考えず、自らの欲望のなすがままに行う行為が“快楽”だといえます。

 これは非社会的行為です。それに対して、近代スポーツには、大切な目的のひとつに社会性の育成を掲げます。ルールを守ることに一番の目的がある、そのうえでお互いの成果を競うところに価値がある、ことを近代スポーツは一番大切だと教えているのです。

 こう考えると、近代スポーツで今起こっている「ドーピング」の問題は非社会的な行為であることは明らかです。ならば、その行為の反対理由として、選手の健康を害するとか、青少年への影響を述べる程度では手ぬるい気がします。はっきりと、立派な“イカサマ”行為であり、まともな人間として“恥ずべき行為”であることを一番前面に出すべきです。そして、この“恥ずかしい”という感情をもっと世界で共有すべきです。

 「赤面するほど恥ずかしい」という日本語があります。「他人様(ひとさま)に顔向けできない」という言葉も日本にはあります。“耳”を自らの“心の声”に真摯に向けたとき、その行為が“恥ずかしい”かどうかがわかる、ということだと思います。


久米秀作・帝京平成大学 (日本体育協会公認アスレティックトレーナー)

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